…To Be RASTA is Not Simply a Matter of Growing DREADLOCKS…
「ラスタであるということは、単にドレッドロックスを伸ばすということではない。ドレッドロックスは、何かもっと大きくて深いものを反映する鏡なのです。」
この時代にドレッドロックスにするということは深い意味があり、ラスタの生き方の象徴となった。ドレッドロックスはヘア・スタイルや流行というものではなく、心を表し、生き方を表すものである。50年代にラスタがドレッドロックスにし始めた時代は、多くの黒人は、そして今もある人たちは、髪をまっすぐにするために、痛みを伴う多大な努力を払った。彼らはより白人に近く見えることを望み、したがって、まっすぐな髪がよい髪であるとみなされ、黒人の自然の髪は悪い髪で、醜いとみなされた。実際黒人初の億万長者のひとり、ウォーカー婦人は、髪をまっすぐにするクリームと、肌を白くするクリームを売って財を成したのである。いまだにアメリカ国内だけで、このビジネスは毎年4千4百万ドルの売上がある。人々は皮膚の表面を焼く手術を受けたり、皮膚の一番上をはがす手術をお受け、少しでも黒い肌を白く見せようとする。だからラスタは声を大にして、自然の自分でいるように、自分が何者であるか誇りを持てというのである。自分は、全能の父、ジャー・ラスタファリの子供であり、皇女、皇子なのだと。自分は必要なもの、空気、火、水や自然の恵みの食べ物といったものを与えられ、真に豊かなのだと知れと説く。
ドレッドロックスの髪は、黒人としての誇りや、アフリカ人としての主体性の象徴の反映である。アフリカにおいては、太古の昔からドレッドロックスがあったが、それは通常、聖職者、伝統医師や治癒師のしるしであった。
ドレッドロックスは、自然と共に生きることの象徴でもあるのだが、近代生活と呼ばれる競争社会への決別の精神的誓いの反映でもある。
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ここでJOINTの友人であるジャマイカのラスタ・マン、アイサチャ−・ドレッドが来日した際、ある雑誌のインタビューで日本人へ残したメッセージを紹介しておきます。 「ワン・ラブ、ワン・ハートでドレッドに対する間違った印象を取り去ってほしい。自分自身になってくれ。本当のラスタはちゃんと風呂に入るし髪の毛も洗うよ。山とか川で洗うのが一番いいんだけど、日本にはお湯の出るシャワーもあるし、(ジャマイカの一般家庭では給湯施設の整っていないところが珍しくないため、彼は初来日のとき、お湯に入ることが体に悪いのではないかと、真剣に怖がった!)いいシャンプーもあるしね。夏には山に行きましょう。そして気分の優れないときにはダニエル・バブーのところへ行きましょう。」 |